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エンジニアの目標設定(MBO・OKR)の教科書|数値化できない業務を「状態」で言語化する方法
期初や半期の目標設定の時期になると、多くのIT企業の経営者・現場リーダー・PM(プロジェクトマネージャー)から、同じ悩みが寄せられます。「エンジニアの業務は営業の売上のように数値化できない」「『バグを出さないようにする』といった当たり前のことしか目標シートに書けない」「会社の事業目標に対して、エンジニアから『自分の担当業務とは関係ない』と反発される」——極めてリアルで切実な課題です。
無理に数値を割り当てると、「コードの行数」や「チケットの処理数」といった本質から外れた目標になり、現場の生産性をかえって下げてしまいます。かといって定性的(抽象的)な目標ばかりを許容すると、期末の評価面談で「結局は上司の主観で決まっているのではないか」という不満が噴出します。この「目標設定の難しさと曖昧さ」が、IT企業においてエンジニアのモチベーション低下や離職を引き起こす大きな要因となっています。
このジレンマを解決する鍵は、MBO(目標管理制度)やOKR(目標と成果指標)の本質を正しく理解し、数値化しにくい技術的な業務を「状態の言語化」によって、誰もが納得できる客観的な達成基準へ落とし込むことにあります。
そしてもう一つ、実務で見落とされがちなのが「人事評価と目標管理は労働法令の枠組みの中で運用しなければならない」という視点です。評価と賃金の連動ルールは就業規則(賃金規程)の必要記載事項であり、制度変更が不利益変更にあたる場合には法的な手続きが必要です。また「残業削減」を個人目標にする運用は、労働時間管理の面で重大なリスクを生みます。
本記事では、IT開発現場の実情を踏まえた目標設定の具体例と運用のコツに加え、人事評価制度に関わる法令上の留意点、そして2026年度に活用できる助成金の最新情報まで、人事コンサルタントの視点から解説します。
この記事の要点(3分でわかるまとめ)
- 定量化できない=目標にできない、ではない。「どのような状態になれば達成と見なすか」を言語化すれば、客観的で公平な目標になります。
- 中小IT企業はMBOをベースにするのが現実的。OKRは評価・報酬と切り離した運用が前提のため、いきなり全面導入すると失敗しやすい制度です。
- 「バグゼロ」「残業◯時間以内」を個人目標にしない。特に残業削減を個人評価に直結させる運用は、申告漏れや持ち帰り残業を誘発し、労働基準法違反・未払い残業代のリスクを招きます。
- 評価と賃金の連動ルールは就業規則(賃金規程)に明記が必要。制度変更が不利益変更となる場合は、労働契約法上の手続き(合意または合理性+周知)が求められます。
- 制度整備には助成金の活用余地があります。ただし「人事評価改善等助成コース」は2025年3月31日で廃止済み。現在は雇用管理制度・雇用環境整備助成コースや人材開発支援助成金が中心です。
目次
- 第1章:なぜIT企業でエンジニアの「目標設定」は揉めるのか?
- 第2章:【最重要】目標設定・人事評価で外せない法令上のルール
- 第3章:MBOとOKRの違いとIT企業における使い分け
- 第4章:数値化できない業務を目標に落とし込む「4つの変換テクニック」
- 第5章:【職種別】そのまま使える!エンジニアの目標設定・記入例集
- 第6章:目標設定でエンジニアと揉めないための「1on1運用術」
- 第7章:【事例】目標設定の見直しで評価納得度を高めたE社
- 第8章:制度整備・評価者研修に使える助成金の最新情報(2026年度)
- 第9章:人事コンサルタントが答えるFAQ(よくある質問10選)
- 第10章:人事コンサルタントからのアドバイス
- 用語集
- 出典・参考情報/ご留意事項
第1章:なぜIT企業でエンジニアの「目標設定」は揉めるのか?
IT企業の経営者やマネージャーから最も頻繁に寄せられる相談の一つが、「期初の目標設定面談でエンジニアと折り合いがつかない」という問題です。営業職のような分かりやすい数値が存在しないエンジニア業務で、なぜこれほど目標設定が難航するのでしょうか。背景には、開発現場特有の構造的な理由があります。
1. 数字にできない業務(定性業務)が大きな比重を占める
エンジニアの日常業務を振り返ると、その多くは単純な数値で測ることが難しい要素で構成されています。
- 将来的に障害が発生しにくい「保守性の高いシステム構造(アーキテクチャ)」を設計する。
- 他のメンバーが読みやすく、後から修正しやすいコードを書く。
- 顧客からの複雑な仕様変更要求に対して、拡張性のある仕組みを構築する。
- チームメンバーのコードをレビューし、若手のスキルアップを支援する。
- システム仕様や環境構築のドキュメントを整理し、開発の「属人化」を防ぐ。
これらはシステムの品質や組織全体の長期的な生産性を左右する、価値の高い業務です。しかし無理に数値化しようとすると、業務の本質を損なう危険があります。
2. 無理な「数値化(定量化)」が招く副作用
「目標は必ず数値でなければならない」という固定観念にマネージャーが縛られると、現場には次のような悪影響が生じます。
- 「コードの行数(LoC)」を目標にした場合:目標を達成するために冗長なコードを書く社員が高評価となり、既存コードを整理してリファクタリングする優秀なエンジニアが低評価になるという逆転現象が起きます。
- 「処理したチケット数」を目標にした場合:数を稼ぐために簡単なタスクばかりを選ぶようになり、難易度の高いバグ修正やコア機能の改善が放置され、技術的負債が蓄積します。
- 「資格取得の数」を目標にした場合:評価を上げるためだけに受験し、実際のプロジェクト業務では知識が活かされない状態に陥ります。
- 「残業時間◯時間以内」を目標にした場合:評価を下げたくないために労働時間を過少申告する、自宅に持ち帰って作業するといった行動を誘発します(法令リスクは第2章で詳述します)。
実態に合わない数値目標は、エンジニアのモチベーションを削ぐだけでなく、開発現場のパフォーマンスと品質、さらには法令遵守の面でもリスクとなります。
3. 「頑張る・しっかりやる」型の定性目標が招く期末の不満
数値化の難しさを回避しようとして、今度は「担当プロジェクトの開発にしっかり励む」「チーム内のコミュニケーションを密にする」といった抽象的な目標ばかりを設定してしまうケースも見られます。
このような曖昧な目標は、期末の評価面談で必ずトラブルを引き起こします。社員側は「自分なりに全力を尽くした」と考え、上司側は「期待したレベルのアウトプットに達していない」と判断し、評価に大きなギャップが生じるためです。評価の根拠が曖昧であるために、社員は「上司の好き嫌いで評価が決まっている」と受け止め、会社への信頼を失ってしまいます。
なお、評価の根拠が説明できない状態は、単なる納得感の問題にとどまりません。評価をめぐる労使トラブルが個別労働紛争に発展した場合、評価の合理性を説明する責任は会社側にあります。目標の言語化は、実は会社を守るリスクマネジメントでもあるのです。
第2章:【最重要】目標設定・人事評価で外せない法令上のルール
目標設定と人事評価は、「マネジメントの工夫」であると同時に「労働条件を決定する法的な仕組み」でもあります。この視点が抜け落ちたまま制度を運用している中小IT企業は少なくありません。ここでは、経営者・人事担当者が必ず押さえるべき法令上のポイントを整理します。
1. 評価と賃金の連動ルールは就業規則(賃金規程)に明記する
労働基準法第89条第2号により、賃金の決定・計算・支払の方法および昇給に関する事項は、就業規則の絶対的必要記載事項とされています。「評価がS〜Dのどのランクなら、昇給額や賞与係数がいくらになるのか」というルールを口頭やExcelの内規だけで運用している状態は、法令上も、社員への説明責任の面でも望ましくありません。
また、就業規則は労働基準法第106条第1項により労働者への周知が義務づけられています。評価制度・目標管理の運用マニュアルも、社員がいつでも確認できる状態にしておくことが原則です。
- 評価ランクと昇給・賞与の関係が、賃金規程または評価規程に文書化されているか。
- 常時10人以上の労働者を使用する事業場では、就業規則の作成・変更時に労働者代表の意見を聴き、所轄の労働基準監督署へ届け出ているか(労働基準法第89条・第90条)。
- 評価シート・評価基準・目標設定ルールが、全社員がアクセスできる場所に置かれているか。
2. 評価制度の見直しが「不利益変更」になる場合の手続き
「評価が厳しくなり、これまでより昇給しにくくなる」「評価項目の変更で一部社員の賃金が下がる」——こうした変更は労働条件の不利益変更にあたる可能性があります。
- 労働契約法第8条:労働条件の変更は、労使の合意によることが原則です。
- 労働契約法第9条:労働者の合意なく、就業規則の変更によって労働条件を不利益に変更することは原則としてできません。
- 労働契約法第10条:就業規則の変更による場合は、変更後の就業規則を周知し、かつ変更内容が、労働者の受ける不利益の程度、変更の必要性、変更後の内容の相当性、労働組合等との交渉状況などに照らして合理的である必要があります。
実務では、①制度改定の目的と必要性の説明、②説明会・個別面談の実施と記録、③激変緩和措置(調整給・移行期間の設定)、④規程改定と周知という段階を踏むことが、後のトラブル防止に直結します。
3. 人事評価は使用者の裁量。ただし「裁量権の逸脱・濫用」は違法
人事評価は本来、使用者の裁量に委ねられる行為です。裁判例でも、評価の当否そのものに司法が踏み込むことには慎重な姿勢がとられています。しかし、それは「何をしてもよい」という意味ではありません。
- 事実に基づかない評価(存在しない失敗を理由とする低評価など)
- 組合活動、性別、育児休業の取得、内部通報など不当な動機・目的による評価
- あらかじめ示していない基準による評価
これらは裁量権の逸脱・濫用(労働契約法第3条第5項の趣旨)と判断され、不法行為として損害賠償の対象となり得ます。「期初に合意した基準」と「期中に蓄積した事実」で評価を説明できる状態を作ることが、最大の防御策です。
4. 「残業削減」「バグゼロ」を個人目標にすることの法的リスク
目標設定の実務で最も注意が必要なのが、労働時間に関する目標です。
労働時間の適正な把握・管理は使用者の義務であり、労働安全衛生法第66条の8の3では、面接指導を適切に実施するため労働者の労働時間の状況を把握しなければならないとされています。個人の評価と残業時間を直結させると、労働時間の過少申告・持ち帰り残業・タイムカード打刻後の作業を誘発し、労働基準法第32条(労働時間)・第37条(割増賃金)違反や未払い残業代請求のリスクを生みます。
残業削減は組織目標・マネジメント目標として設定し、個人には「テスト自動化により手作業の検証工数を削減する」「手順書整備により属人業務を分散する」といった時間短縮につながる取り組みそのものを目標として設定してください。
あわせて、時間外・休日労働には36協定の上限規制(原則:月45時間・年360時間。特別条項を締結しても、年720時間以内、複数月平均80時間以内、単月100時間未満、月45時間を超えられるのは年6回まで)が適用されます。達成に長時間労働が前提となる目標設定は、それ自体が法令リスクである点を、マネージャー研修で必ず共有してください。
- 夜間のオンコール待機:実作業がなくても、労働からの解放が保障されていないと評価される場合には労働時間に該当し得ます(仮眠時間の労働時間性を認めた最高裁判例があります)。待機手当・呼出時の割増賃金の取扱いを就業規則で整理してください。
- 朝会・夕会:参加が事実上強制される会議は労働時間です。始業時刻前に設定せず、所定労働時間内に実施します。
- 資格取得・研修:業務命令として参加させる場合や、不参加に不利益がある場合は労働時間として扱う必要があります。
5. 裁量労働制のエンジニアの目標設定(2024年4月改正に対応できていますか)
「エンジニアは裁量労働制だから、時間ではなく成果だけで評価すればよい」という理解は誤りです。裁量労働制はあくまで労働時間の算定に関する制度であり、労働時間の状況の把握や健康・福祉確保措置が免除されるわけではありません。
- 対象業務の限定:専門業務型裁量労働制の対象業務は労働基準法施行規則等で限定列挙されており、IT関連では「情報処理システムの分析または設計の業務」「システムコンサルタントの業務」「ゲーム用ソフトウェアの創作の業務」などが該当します。プログラミングのみを行う業務や、システムの運用・保守、テストのみの業務は対象外とされています。
- 本人同意が必須:2024年4月1日以降、専門業務型裁量労働制の適用には本人の同意を得ること、同意しなかった場合の不利益取扱いをしないこと、同意の撤回手続きを定めることが労使協定の必要事項となりました。
- 健康・福祉確保措置:労働時間の状況に応じた措置の実施と記録の保存が必要です。
対象要件を満たさない社員にみなし労働時間制を適用したまま「成果のみで評価」する運用は、未払い残業代という形で顕在化します。目標設定を見直すタイミングは、裁量労働制の適用範囲を点検する好機でもあります。
6. 育児・介護、時短勤務、非正規エンジニアの目標設定
目標の「量」は、所定労働時間や勤務可能期間に応じて調整することが原則です。
- 育児・介護休業法、男女雇用機会均等法:育児休業等の取得や、妊娠・出産等を理由とする不利益な取扱いは禁止されています。休業取得それ自体を理由に一律に低評価とする運用は違法と判断されるおそれがあります。休業期間を評価対象期間から除外する、期間按分するなどのルールを規程で明確化してください。
- 2025年10月1日施行の育児・介護休業法改正:3歳から小学校就学前の子を養育する労働者について、始業時刻の変更、テレワーク、養育両立支援休暇の付与など5つの選択肢から2つ以上の措置を講じることが事業主の義務となりました。制度利用者が増える前提で、目標設定のルールを整えておく必要があります。
- パートタイム・有期雇用労働法第8条・第9条:正社員と非正規社員との間の不合理な待遇差は禁止されています。評価制度の適用範囲や、評価結果の処遇反映のルールに説明できない差がないか点検してください。
7. 目標設定面談・評価面談とハラスメント
労働施策総合推進法第30条の2により、パワーハラスメント防止のための雇用管理上の措置は、2022年4月1日から中小企業を含むすべての事業主の義務です。面談の場での人格否定、達成不可能なノルマの一方的な押し付け(過大な要求)、必要な情報を与えない(過小な要求・仲間外し)といった言動は、パワハラに該当し得ます。
2025年6月11日公布の改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号)により、2026年10月1日から、カスタマーハラスメント対策および求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策が、すべての事業主の雇用管理上の措置義務となります(適用猶予はありません)。2026年2月26日には具体的措置を示す指針も公布されています。
客先常駐(SES)が中心のIT企業では、常駐先の担当者からの著しい迷惑行為が、そのまま社員の目標達成や評価に影響します。方針の明確化・周知、相談窓口の設置、事案発生時の対応手順の整備を、目標管理の運用ルールとセットで準備してください。
8. SES・客先常駐エンジニアの評価は「自社」が行う
準委任・請負契約であるにもかかわらず、常駐先が直接業務指示や評価・指導を行っている状態は、偽装請負と判断されるおそれがあります(労働者派遣法・職業安定法上の問題)。常駐先からの評価は、契約に基づき自社が情報として受け取り、目標設定・評価面談・処遇決定は必ず雇用主である自社の上長が行う運用としてください。
9. 押さえておきたい最近の法改正動向(2026年7月時点)
| 時期 | 内容 | 実務への影響 |
|---|---|---|
| 2025年10月1日 (施行済) |
育児・介護休業法改正。3歳から小学校就学前の子を養育する労働者に対する「柔軟な働き方を実現するための措置」の義務化 | 時短・テレワーク利用者を前提とした目標設定ルールの整備が必要 |
| 2026年4月1日 (施行済) |
改正女性活躍推進法。常時雇用労働者101人以上の企業に、男女間賃金差異および女性管理職比率の情報公表が義務化 | 評価・登用の運用に説明できない男女差があると、社外から可視化される |
| 2026年10月1日 (施行予定) |
改正労働施策総合推進法。カスタマーハラスメント対策・求職者等へのセクハラ対策の措置義務化 | 常駐先・顧客対応を含む相談体制の整備。就業規則への方針明記 |
| 検討中 | 労働基準法の見直し(連続勤務の上限規制、勤務間インターバル、副業・兼業の割増賃金通算ルール等)。2026年通常国会への改正法案提出は見送られ、労働政策審議会で議論が継続 | 直ちの対応義務はないが、シフト・オンコール運用の点検を進めておく |
第3章:MBOとOKRの違いとIT企業における使い分け
エンジニアの目標設定を成功させるために、代表的な2つの目標管理フレームワーク——MBO(Management by Objectives:目標管理制度)とOKR(Objectives and Key Results:目標と成果指標)——の特徴を正しく理解しましょう。自社の文化や事業形態に合わせた使い分けが、組織マネジメントの第一歩です。
1. MBOとOKRの比較整理
| 項目 | MBO(目標管理制度) | OKR(目標と成果指標) |
|---|---|---|
| 主な目的 | 人事評価・処遇(昇給・賞与)への反映 | 組織の成長・イノベーション・挑戦の促進 |
| 目標の難易度 | 達成率100%を目指す、現実的な目標 | 達成率60〜70%を成功とみなす、野心的な目標 |
| 評価・報酬との連動 | 連動させる(規程に定めた範囲で処遇に反映) | 直接連動させない設計が一般的 |
| 目標の共有範囲 | 上司と本人が中心(部署外には非公開が多い) | 全社に公開(透明性の確保) |
| 更新サイクル | 半年〜1年単位 | 1〜3か月(クォーター)単位 |
2. MBOの特徴とIT企業での活かし方
- メリット:評価と処遇の連動ロジックが明確で、「何をどこまで達成すれば処遇にどう反映されるか」を社員に説明しやすくなります。就業規則・賃金規程との整合も取りやすい仕組みです。
- 課題:処遇に直結し達成率100%が前提となるため、失敗を恐れて「確実に達成できる低い目標」に流れやすくなります。また、変化の速い開発現場では、期初の目標が半年後には実態と合わなくなることも多々あります。
- 向いている領域:業務内容がある程度定まっている保守・運用フェーズ、品質管理部門、客先常駐(SES)など、確実な遂行が求められる業務。
3. OKRの特徴とIT企業での活かし方
OKRは、目指す大きな目標(O:Objective)に対して、進捗を測る複数の成果指標(KR:Key Results)を設定し、チームのパフォーマンスを最大化する仕組みです。Googleをはじめとするテクノロジー企業で広く知られています。
- メリット:達成率60〜70%程度の野心的な目標(ムーンショット)を掲げるため、イノベーションや大幅な生産性向上が生まれやすくなります。全社公開により他チームとの連携もスムーズになります。
- 課題:OKRの達成度をそのまま処遇に連動させると、減給を恐れて誰も野心的な目標を立てなくなります。評価制度(コンピテンシー評価など)と切り離した高度な制度設計と、それを支える運用体制が必要です。
- 向いている領域:自社SaaS等の新規プロダクト開発、生成AIを活用した業務プロセス革新など、前例のない挑戦が求められる領域。
4. 【結論】中小IT企業には「MBO+状態の言語化」のハイブリッドが現実的
リソースが限られた中小IT企業において、OKRを評価制度から完全に切り離して運用するには、高いマネジメントスキルと運用コストが必要です。実務上最も失敗が少ないのは、処遇と連動するMBOをベースにしつつ、数値化できない定性業務を「達成された状態(成果物・仕組み・行動)」として具体化して目標に組み込むハイブリッド手法です。次章から、その具体化の方法を解説します。
第4章:数値化できない業務を目標に落とし込む「4つの変換テクニック」
「定量化できない業務は目標にできない」というのは誤解です。数値にできなくても、「どのような状態になれば達成と見なすのか」を言語化できれば、客観的で納得性の高い目標を作ることができます。代表的な4つの変換テクニックを紹介します。
テクニック1:状態の言語化(成果物・仕組み・基準の完成)
「頑張る」「徹底する」といった抽象表現を、「どのような成果物が完成し、周囲がそれをどう使える状態になっているか」という目に見える状態へ変換します。
開発ドキュメントをしっかり整理して、業務の属人化を防ぐ
新規参画メンバーが、他者の口頭説明を受けずに1営業日以内で開発環境を構築できるよう、セットアップ手順書とシステム構成図をドキュメント管理ツール上に作成し、チーム内への共有会を実施して運用を開始している状態にする
「何が完成し、どのような状態になっているか」を具体的に書くことで、期末に「その状態に達したか否か」を誰が見ても判定できるようになります。
テクニック2:マイルストーン(工程段階)化
長期のプロジェクトや、成果がすぐに見えにくい新技術の検証は、スケジュールに沿った段階的な完了基準を目標とします。
新技術(生成AI活用)の研究と社内導入を進める
- 第1四半期末:検証レポートを作成し、社内エンジニア向け勉強会で発表を完了している。
- 第2四半期末:自社プロダクトの一部機能でプロトタイプを構築し、社内の結合テストを完了している。
- 期末:実際の開発フローに組み込み、開発チームの3名以上が実務で使用できる状態になっている。
進行度合いを時期ごとに区切ることで、期中の進捗管理(1on1)が容易になり、トラブル発生時の軌道修正もスムーズになります。
テクニック3:他者からのフィードバックの可視化
コードレビューの質や他部署との連携など、数値で測りにくい貢献は、関わった第三者からの評価を指標に組み込みます。
丁寧なコードレビューを行い、後輩エンジニアをしっかり育成する
後輩エンジニア2名に対し週1回のコードレビューを実施し、頻出する指摘事項を「レビューチェックリスト」として体系化してチームに共有する。あわせて期末アンケートの「指摘の分かりやすさ・学びの深さ」の項目で5段階中4以上を得ることを目安とする
少人数の匿名アンケートは、人間関係や回答者の偏りによって結果が大きく変動します。アンケートは「参考指標」にとどめ、評価の主たる根拠は成果物(チェックリストの完成・共有の事実)に置く設計としてください。評価根拠を説明できない指標を処遇決定の中心に据えると、裁量権の逸脱・濫用を問われるリスクが高まります。
テクニック4:コントロール可能性のチェック
最後に必ず確認したいのが、「その目標の達成は、本人の努力と裁量で左右できるか」という観点です。本人がコントロールできない要素に達成可否が左右される目標は、モチベーションを下げ、評価の公平性も損ないます。
- 他社(顧客・常駐先)の意思決定だけで決まる目標になっていないか(例:契約更新の獲得、単価アップの承諾)
- 他部門の稼働や外部ベンダーの遅延で達成不能になる構造ではないか
- 達成に長時間労働が前提となっていないか(36協定の上限規制と整合するか)
- 「バグゼロ」「障害ゼロ」など、確率的に達成不可能な結果目標になっていないか
- 期中の仕様変更・案件変更があった場合の修正ルールが定められているか
外部要因に左右される要素は「参考指標」または「加点要素」とし、主たる評価対象は本人の行動と成果物に置く。これが、納得性と法的な説明可能性を両立させる原則です。
第5章:【職種別】そのまま使える!エンジニアの目標設定・記入例集
中小IT企業で実際に活用できる、職種・役割ごとの目標記入例(MBO形式)です。自社の目標設定シートを作成する際や、面談時のテンプレートとしてご活用ください。
1. バックエンド・フロントエンドエンジニア(開発中心)
【目標テーマ:コード品質の向上とリファクタリング】
既存システムのうち、不具合報告の頻度が高い◯◯モジュールのリファクタリングを実施する。期末までに該当箇所の自動テストカバー率を40%から70%に引き上げ、結合テスト以降に検出される重大度「高」の不具合件数を前期比50%削減した状態にする。
2. インフラ・SREエンジニア(保守・運用・基盤中心)
【目標テーマ:システムの安定稼働と障害対応の迅速化】
主要サーバーの監視体制を強化し、障害発生時の異常検知から初期対応開始までの平均時間を15分以内に短縮する。あわせて過去半年の障害事例を分析した「障害一次対応マニュアル(Playbook)」を完成させ、夜間の一次対応を特定個人に依存せず、就業規則に定めた当番制で運用できる状態を作る。
- 待機時間の取扱い(労働時間に該当するか)と、待機手当・呼出対応時の割増賃金の規定が整備されているか。
- 深夜対応が発生した場合の代休・勤務間インターバルの確保が運用ルールにあるか。
- 当番制の導入が労働条件の変更にあたる場合、必要な手続き(説明・合意・規程改定)を経ているか。
3. SES・客先常駐エンジニア(自社への貢献とナレッジ還元)
【目標テーマ:常駐先での役割遂行と自社へのナレッジ還元】
常駐先プロジェクトにおいて、担当領域の設計・実装を計画どおり完了させ、四半期ごとに自社の営業担当と同席のうえ常駐先へヒアリングを実施し、改善要望を翌四半期の行動計画に反映する。あわせて、常駐先で得た開発手法やセキュリティ対策の知見を、月1回の自社エンジニア定例会で発表し、社内ナレッジベースに2件以上の記事を投稿して組織へ還元する。
- 指揮命令:目標設定・評価・労務管理は雇用主である自社が行う(偽装請負の回避)。
- 労働時間:常駐先の勤怠管理に依存せず、自社として労働時間の状況を把握する。
- ハラスメント:2026年10月1日施行のカスハラ対策義務を踏まえ、常駐先での言動に関する相談窓口と対応手順を整備する。
4. PM・テックリード・チームリーダー(マネジメント中心)
【目標テーマ:チーム生産性の向上と業務の標準化】
担当プロジェクトにおいて特定メンバーへのタスク偏在を解消するため、所定労働時間内に行う15分の朝会とカンバンボードによるタスクの見える化を定着させる。納期遵守を達成するとともに、期中に発生した仕様変更の履歴と対応手順を「変更管理ガイドライン」として集約し、他のPMが再利用できる状態にする。
5. 目標シートで避けたい表現・推奨表現の対応表
| 避けたい表現 | 問題点 | 推奨する書き換え |
|---|---|---|
| バグ・障害をゼロにする | 達成不可能。挑戦回避と不具合の隠蔽を招く | 重大度「高」の不具合を前期比◯%削減/再発防止策を◯件仕組み化する |
| 残業を月◯時間以内に抑える | 過少申告・持ち帰り残業を誘発し法令リスクに直結 | ◯◯作業を自動化し、月間の手作業工数を◯時間削減する(組織目標として管理) |
| 顧客から契約更新・単価アップを獲得する | 相手方の意思決定に依存し、本人が制御できない | 四半期ごとに常駐先ヒアリングを実施し、改善要望を行動計画に反映する |
| コミュニケーションを密にする | 達成判定ができず、期末の認識ギャップを生む | 週次の進捗共有会を運営し、決定事項を24時間以内に議事録として共有する |
| スキルアップに励む | 業務との接続がなく、成果に結びつかない | ◯◯技術を習得し、担当機能の実装に適用したうえで勉強会で共有する |
第6章:目標設定でエンジニアと揉めないための「1on1運用術」
どれほど優れた目標シートを作成しても、日々の運用に問題があれば不満は解消されません。目標設定から期末評価までに、現場のリーダーが実践すべきコミュニケーションのポイントを解説します。
目標設定と評価の年間サイクル
- 期初面談:会社からの「期待」と本人の「キャリア意向」をすり合わせ、目標を合意する(合意内容を記録に残す)
- 月次1on1:進捗確認と阻害要因の除去。実態と合わなくなった目標は合意のうえで修正する
- 期末面談:事実(ファクト)に基づく自己評価のヒアリングと、根拠を示したフィードバック
1. 期初面談:会社の「期待」と個人の「やりたいこと」を統合する
上司が一方的に作った目標を「会社の決定だから」と押し付けると、エンジニアは当事者意識を失います。面談では、次の2つの重なりを意識して対話を進めます。
= 【設定すべき最も強力な目標】
「会社として今期達成したいこと」と「本人が伸ばしたい技術・挑戦したい案件」が重なる交差点を対話の中で見つけ、目標の言葉として紡ぎ出すことが上司の役割です。自分のキャリアに直接つながると実感できれば、目標へのコミットメントは大きく高まります。
2. 月次1on1での進捗確認と柔軟な軌道修正
IT業界では、市場の変化やクライアントの仕様変更により、期初の目標が数か月で実態に合わなくなることが日常的に起こります。実務と乖離した目標に縛られ続けると、エンジニアは「意味のない目標のために働かされている」と感じ、モチベーションを失います。
月1回の1on1で「目標が現状と合っているか」「達成の障害になっている問題はないか」を確認し、状況が変わった場合は期中であっても上司と本人の合意のもとで目標を修正できるルールを会社として整備しておくことが重要です。
期中の目標変更は、口頭の合意だけで済ませないでください。変更日・変更理由・変更後の目標・双方の確認を1on1シートや人事システムに残すことが、期末の「言った・言わない」を防ぎ、評価の合理性を説明する根拠にもなります。
3. 期末面談:感覚ではなく「ファクト」で対話する
期末の評価面談で不満が出る最大の理由は、上司が「なんとなくの印象」で結果を伝えてしまうことにあります。評価を伝える際は、期初に合意した「達成された状態(言語化した基準)」と、期中に蓄積した「事実(成果物、コミット履歴、ドキュメント、周囲からのフィードバック)」を突き合わせて説明します。
今期は全体的にちょっと積極性が足りなかったと思うよ
期初に「マニュアルを完成させてチーム内に展開する」という目標を合意しましたね。マニュアル自体は高い品質で完成しています(事実)。一方で、チームへの共有会とレクチャーが未実施でした(事実)。したがって今回の達成度は80%、評価はBという判断になります
客観的な事実に基づいて説明されれば、たとえ評価が本人の希望より低くても、エンジニアは「どこが足りなかったか」を理解し、納得しやすくなります。この積み重ねが、評価をめぐる紛争を未然に防ぐ最大の予防策です。
第7章:【事例】目標設定の見直しで評価納得度を高めたE社
目標設定の形骸化に悩み、見直しによって組織が変わった中小IT企業の改善ストーリーをご紹介します(※守秘義務に配慮し、複数の事例をもとに再構成しています)。
1. 改善前の課題:定量数値の強制で現場が冷めていた
都内のシステム開発会社E社(従業員数40名)では、導入済みのMBO制度において「目標はすべて数値で表すこと」というルールを定めていました。その結果、現場のエンジニアは「バグ発生数ゼロ」「資格取得2個」「月間残業時間10時間以内」といった、本質的でない数値目標を書かざるを得ない状況にありました。
- 難しい新規開発タスクを引き受けるとバグリスクが高まり評価が下がるため、誰も高難度の案件に手を挙げなくなった。
- 期末になると「達成率の計算方法」をめぐって、上司とエンジニアが不毛な議論を繰り返していた。
- 残業時間を個人目標にしていたため、実態より少ない時間を申告する社員が現れ、労務管理上の重大なリスクが潜在化していた。
- 社内アンケートで「評価制度に納得している」と答えたエンジニアは、全体の2割に満たなかった。
2. 改善アプローチ:「状態の言語化」への転換と規程の整備
- 無理な定量化の撤廃:数値化になじむ業務以外は数値目標の強制をやめ、「達成された状態(成果物・仕組み・行動)の言語化」を正式な目標基準として認めた。
- 残業時間の個人目標からの除外:労働時間の削減はマネジメント側の組織目標へ移し、個人には自動化・標準化の取り組みを設定。あわせて勤怠の適正申告を全社に周知した。
- ガイドブックと例文集の配布:職種別の記述例を示したガイドブックを全社員に配布し、現場リーダー向けに「言語化をサポートする書き方研修」と評価者研修を実施した。
- 1on1テンプレートの導入:毎月15分で進捗と阻害要因を確認し、目標修正の履歴を記録できる共有シートを導入した。
- 規程の整備:評価ランクと昇給・賞与の関係、期中の目標修正ルール、休業・時短勤務者の評価の取扱いを評価規程・賃金規程に明記し、労働者代表の意見聴取を経て届出・周知を行った。
3. 改革の結果
新ルールの導入から1年後、エンジニアは「チームやプロダクトのために本当に必要な課題(コード品質の向上、マニュアル化、若手育成)」を目標に掲げられるようになりました。上司も「何が完成すれば達成と見なすか」を事前にすり合わせられるため、期末の「言った・言わない」の不満はほぼ解消。翌年の社内アンケートにおける評価制度への納得度は大きく改善し、離職率も低下しました。
※本事例は複数企業の取組みをもとに再構成したものです。記載の効果は取組みの一例であり、同様の成果を保証するものではありません。
第8章:制度整備・評価者研修に使える助成金の最新情報(2026年度)
人事評価制度の整備や、目標設定・評価者研修の実施にあたっては、国の助成金を活用できる場合があります。ただし、この分野の助成金は毎年度大きく変わるため、古い情報のまま検討を進めると計画が破綻します。2026年7月時点の状況を整理します。
かつて「人事評価制度を整備すれば助成金が受けられる」として広く知られていた人材確保等支援助成金(人事評価改善等助成コース)は、2025年3月31日をもって廃止されました。現在も同コースを前提に案内している情報が散見されますので、注意してください。
1. 人材確保等支援助成金(雇用管理制度・雇用環境整備助成コース)
人事評価制度を含む雇用管理制度の導入等を通じて、離職率の低下に取り組む事業主を支援するコースです。人事評価改善等助成コースの機能は、実質的にこちらへ引き継がれています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象となる制度 | 賃金規定制度(中小企業事業主のみ)、諸手当等制度、人事評価制度、職場活性化制度、健康づくり制度、または業務負担軽減機器等の導入 |
| 助成額(雇用管理制度) | 1制度導入につき20万円〈25万円〉または40万円〈50万円〉(上限80万円〈100万円〉) ※〈 〉内は賃金要件を満たす場合の額 |
| 助成額(業務負担軽減機器等) | 導入に要した経費の1/2〈62.5/100または75/100〉(上限150万円〈187.5万円または225万円〉) |
| 主な要件 | 雇用管理制度または業務負担軽減機器等の導入、離職率目標の達成など |
| 手続きの注意 | 取組みの前に「雇用管理制度等整備計画」を作成し、労働局の認定を受ける必要があります。計画期間終了後の離職率算定期間があるため、認定から支給までに1年以上を要します |
2. 人材開発支援助成金(評価者研修・1on1研修などに活用)
マネージャー向けの評価者研修、目標設定研修、1on1研修、エンジニアの技術研修などの職業訓練を実施した場合に、訓練経費や訓練期間中の賃金の一部が助成されます。2026年度は次のような改正が行われています。
- 2026年3月2日から、支給対象訓練の拡充と分割支給申請が可能となりました。
- 2026年4月8日改正で、事業展開等リスキリング支援コースに「設備投資加算」が新設され、人材育成支援コースに中高年齢者を対象とした実習型訓練が新設されました。
- 事業展開等リスキリング支援コースは期間限定の制度で、2027年3月31日をもって終了予定とされています。
- 訓練の計画届は、原則として訓練開始日の1か月前までに提出が必要です。
3. 助成金活用で失敗しないための3原則
- 「作ってから申請」は不可。雇用管理制度の整備も訓練も、実施前の計画届提出と認定が原則です。
- 助成金ありきで制度を作らない。助成要件に合わせて中身のない制度を作ると、現場が動かず離職率要件も満たせません。自社に必要な制度設計が先、助成金は後です。
- 必ず最新の支給要領を確認する。要件・金額・コースは年度ごとに見直されます。着手前に管轄の都道府県労働局またはハローワークへ照会してください。
第9章:人事コンサルタントが答えるFAQ(よくある質問10選)
- 「バグを出さない(不具合ゼロ)」という目標は設定してよいですか?
- 単体での設定はおすすめしません。ソフトウェア開発においてバグを完全にゼロにすることは現実的ではなく、目標にすると、エンジニアは減点を恐れて新技術の採用や難易度の高い実装を避けるようになります。設定する場合は「バグを出さない」という結果ではなく、自動テストの網羅率引き上げ、リリース前チェックリストの作成と運用定着など、早期発見・防止の仕組みづくりという能動的なプロセスを目標にしてください。
- 残業時間の削減を個人の評価目標にしてもよいですか?
- 個人の評価に直結させることは避けてください。労働時間の適正な管理は事業者の義務であり(労働安全衛生法第66条の8の3ほか)、個人の評価と結びつけると過少申告や持ち帰り残業を誘発し、労働基準法第32条・第37条違反や未払い残業代のリスクにつながります。削減は組織目標・マネジメント目標として設定し、個人には業務の標準化・自動化など時間短縮につながる取り組みを目標として設定します。
- 人事評価制度を見直すとき、社員の同意は必要ですか?
- 評価方法の変更が賃金など労働条件の不利益変更を伴う場合は注意が必要です。労働契約法第9条により、労働者の合意なく就業規則を変更して労働条件を不利益に変更することは原則できず、就業規則の変更による場合は第10条の合理性と周知が求められます。また、評価と賃金の連動ルールは労働基準法第89条第2号により就業規則(賃金規程)の必要記載事項です。説明会の実施と記録、激変緩和措置、規程改定・意見聴取・届出・周知という手順を必ず踏んでください。
- 裁量労働制のエンジニアは成果だけで評価してよいのですか?
- 裁量労働制は労働時間の算定に関する仕組みであり、労働時間の状況把握や健康・福祉確保措置が不要になるわけではありません。専門業務型裁量労働制の対象は「情報処理システムの分析または設計の業務」などに限定され、プログラミングのみの業務や運用・保守、テストのみの業務は対象外とされています。また2024年4月1日以降は本人同意の取得と同意撤回の手続きが労使協定の必要事項です。対象要件を満たさないまま成果のみで評価する運用は、未払い残業代のリスクに直結します。
- SES・客先常駐エンジニアの目標設定と評価は誰が行うべきですか?
- 雇用主である自社が行います。準委任・請負契約でありながら常駐先が指揮命令や評価を直接行うと、偽装請負と判断されるおそれがあります。常駐先からの評価は契約に基づき自社が情報として受け取り、自社の上長が本人と面談して目標設定・評価を行ってください。あわせて、2026年10月1日からカスタマーハラスメント対策が事業主の措置義務となるため、常駐先での言動に関する相談窓口と対応手順の整備も必要です。
- 育児短時間勤務や育児休業を取得した社員の目標設定はどうすればよいですか?
- 所定労働時間や勤務可能期間に応じて目標の量を調整し、休業期間を評価対象期間から除外する、期間按分するといったルールを規程で明確化します。育児・介護休業法や男女雇用機会均等法は、育児休業の取得や妊娠・出産等を理由とする不利益な取扱いを禁止しています。休業の取得それ自体を理由に一律に低い評価を付ける運用は、違法と判断されるおそれがあります。
- 業務が多忙で目標設定や1on1に割く時間がありません。どうすればよいですか?
- 目標設定と1on1は「業務を圧迫するタスク」ではなく、「後の手戻りと評価トラブルを防ぐ投資」と捉え直してください。目標が曖昧なまま走ると、期末に手戻りや揉め事が発生し、上司も社員も膨大な時間を失います。目標は期あたり2〜3個に絞り、1on1は月1回15〜30分でも十分機能します。共通フォーマットを用意して運用コストを下げ、面談記録を残すことが、後の説明責任にも役立ちます。
- 「自分の仕事以外の社内貢献(採用面接への協力や勉強会主催)」を目標に組み込んでよいですか?
- ぜひ組み込むべきです。リソースが限られる中小IT企業において、社内勉強会の開催、技術ブログでの発信、採用面接への同席などは組織の成長を支える貴重な貢献です。これらを個人の善意で終わらせず、行動目標(コンピテンシー評価やMBOの一部)として公式に評価項目へ組み込むことで、貢献に会社として報いることができます。なお、これらの活動時間は労働時間として適正に管理してください。
- 期の途中で担当プロジェクトが大幅に変更になった場合、目標はどう扱いますか?
- 速やかに目標を再設定してください。変更前の目標を残したまま評価すると、実態に合わない評価となり納得感が著しく低下します。上司と本人ですぐに面談を行い、新しい役割に合わせた目標へ差し替え、変更日・理由・変更後の内容を記録に残したうえで、期末は新しい目標の達成度で評価するルールを規程や運用マニュアルに明記しておきましょう。
- 人事評価制度の整備や評価者研修に使える助成金はありますか?
- 「人材確保等支援助成金(人事評価改善等助成コース)」は2025年3月31日で廃止されました。2026年度は、人事評価制度を含む雇用管理制度の導入と離職率低下に取り組む事業主向けの人材確保等支援助成金(雇用管理制度・雇用環境整備助成コース)、評価者研修や1on1研修などを対象とする人材開発支援助成金が中心となります。いずれも取組みの前に計画届の提出・認定が必要で、要件は年度ごとに見直されるため、着手前に管轄の都道府県労働局で最新の支給要領を必ず確認してください。
第10章:人事コンサルタントからのアドバイス
エンジニアの目標設定において最も重要なのは、「目標とは社員を採点して給与を決めるための道具ではなく、社員の成長と組織の成果を同時に加速させるための『対話のツール』である」というマネジメント側の意識転換です。
多くの企業が「評価の不公平感をどうなくすか」「どう数値を割り振れば管理しやすいか」という制度の「箱」に目を向けがちです。しかし、どれほど精緻な評価シートを作っても、現場の上司と部下の間に日々の「対話」と「プロフェッショナルとしてのリスペクト」がなければ、制度は形骸化し、不満を生むだけの紙になります。
- 「我が社は、今期どんな課題に挑戦しようとしているのか」
- 「その達成のために、あなたにはどんなエンジニアとして活躍してほしいのか」
- 「あなたのキャリアの成長を、会社はどうバックアップできるか」
経営陣やマネージャーがこの意図を自分の言葉にし、エンジニア一人ひとりと向き合って目標へ落とし込んでいく。この積み重ねこそが、評価への不満を減らし、強い開発組織を作る王道です。
同時に忘れてはならないのが、目標管理は労働法令の枠組みの中にあるということです。無理な数値目標は、モチベーションを損なうだけでなく、長時間労働や労働時間の過少申告といった形で企業に法的リスクをもたらします。「社員が納得できる目標」と「法令に適合した運用」は、対立するものではなく、同じ方向を向いています。
まずは次の期初面談から、「無理な数値の強制」を手放し、「達成された状態の言語化」から始めてみませんか。
用語集
社内で目標設定の仕組みを見直す際、マネージャー間で認識を統一するための主要用語です。
- MBO(Management by Objectives):目標管理制度。社員が上司と相談して期ごとの目標を設定し、その達成度を期末に評価して処遇に反映させる代表的な人事評価の仕組み。
- OKR(Objectives and Key Results):「目標」と「成果指標」を設定する目標管理手法。全社で方向を合わせ、評価とは切り離して挑戦的な目標(ムーンショット)の達成に用いる。
- 定量目標:数字(売上高、処理件数、削減時間、テストカバー率など)で測定・判定できる目標。
- 定性目標:数字で表しにくく、状態や行動の質(ドキュメントの完成度、設計の妥当性、チームへの貢献など)で判定する目標。いかに言語化するかが鍵となる。
- コンピテンシー:継続的に高い成果を出す社員に共通してみられる行動特性。結果だけでなくプロセスや取り組む姿勢を評価する指標。
- 1on1面談:上司と部下が1対1で定期的に行う対話の場。進捗報告ではなく、部下の成長支援・課題解決・動機づけを目的とする。
- リファクタリング:外部から見た動作を変えずに、プログラム内部の構造を整理・改善する作業。保守性と可読性を高め、将来の不具合を防ぐ。
- ノーレイティング:期末にランクで格付けする評価を廃止し、リアルタイムなフィードバックと対話を重視する評価手法。
- 不利益変更:賃金・労働時間など労働条件を労働者にとって不利に変更すること。労働契約法第8条〜第10条の規律を受ける。
- 専門業務型裁量労働制:業務の遂行手段や時間配分を労働者の裁量に委ねる必要がある一定の業務について、労使協定で定めた時間を労働したとみなす制度。対象業務は限定列挙され、2024年4月1日以降は本人同意が必要。
- 偽装請負:形式上は請負・準委任契約でありながら、実態として発注者が労働者に直接指揮命令を行っている状態。労働者派遣法・職業安定法上問題となる。
出典・参考情報/ご留意事項
- 労働基準法(第32条、第36条、第37条、第89条、第90条、第106条)
- 労働契約法(第3条第5項、第8条〜第10条)
- 労働安全衛生法(第66条の8の3)
- 労働施策総合推進法(第30条の2)/改正労働施策総合推進法(令和7年法律第63号、2026年10月1日施行)
- 男女雇用機会均等法、育児・介護休業法(2025年4月・10月施行の改正を含む)
- パートタイム・有期雇用労働法(第8条・第9条)
- 女性活躍推進法(2026年4月1日施行の情報公表義務の拡大)
- 厚生労働省「人材確保等支援助成金のご案内」(雇用管理制度・雇用環境整備助成コースほか)
- 厚生労働省「人材確保等支援助成金(人事評価改善等助成コース)」(2025年3月31日廃止)
- 厚生労働省「人材開発支援助成金」(2026年3月2日・4月8日改正)
- 厚生労働省「専門業務型裁量労働制の解説」(2024年4月1日施行対応)
※本記事は2026年7月時点の情報に基づく一般的な解説であり、個別の事案に対する法的助言ではありません。法令・助成金の要件は改正される場合があります。制度の導入・変更にあたっては、必ず最新の情報をご確認のうえ、必要に応じて社会保険労務士・弁護士等の専門家、または管轄の労働基準監督署・都道府県労働局にご相談ください。
※事例に記載した効果は取組みの一例であり、同様の成果を保証するものではありません。
まとめ
「自社のエンジニアの業務特性に合った目標設定の基準が作れない」「期末の評価面談で毎回不満が出て、マネージャーが疲弊している」「評価制度を見直したいが、就業規則や賃金規程との整合が分からない」
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