「なぜこの基本給なのか」「なぜこの手当なのか」を社員に説明できますか。本レポートは、賃上げ圧力・最低賃金上昇・社会保険適用拡大が重なる今、昇給や賞与、諸手当の決め方に課題を抱える中小企業の経営者・人事担当者に向けて、賃金制度の運用でよく起こる8つの問題と、最新トレンドから見た制度見直しの背景を体系的に整理した実務資料です。
1. はじめに
1-1. レポート作成の目的
本レポートは、賃金制度を運用しているものの、昇給や賞与、諸手当の決め方に課題を抱えている中小企業を対象に、制度見直しの基本的な考え方を整理するものです。多くの企業では、給与額そのものは毎年見直していても、「なぜこの基本給なのか」「なぜこの手当を支給しているのか」「賞与は業績や評価とどのように連動しているのか」を社員に説明しにくい状態になっています。
特に、採用時の賃金引上げ、最低賃金への対応、物価上昇に伴う賃上げ、パート・契約社員の処遇改善が重なると、従来の慣例的な賃金運用では社内バランスが崩れやすくなります。
本レポートでは、諸手当、基本給と昇給ルール、賞与と業績連動を中心に、問題が生じる理由と解消するための方向性を整理します。経営者と人事担当者が、自社の賃金制度を点検し、社員に説明できる制度へ見直すための基礎資料として活用することを目的とします。
1-2. 賃金制度を見直す必要性
賃金制度を見直す必要性は、近年さらに高まっています。
【データで見る賃上げ環境】
・2026年春闘(最終集計):平均賃金方式の賃上げは全体で16,400円・5.01%、300人未満の中小組合でも12,866円・4.69%
・有期・短時間・契約等労働者の賃上げ:時給75.01円・概算6.18%
・令和7年度地域別最低賃金:全国加重平均1,121円(引上げ額66円・引上げ率6.3%)
2026年春闘の最終集計では、平均賃金方式の賃上げが全体で16,400円・5.01%、300人未満の中小組合でも12,866円・4.69%となり、中小企業にも強い賃上げ圧力が及んでいます。また、有期・短時間・契約等労働者の賃上げも時給75.01円、概算6.18%と高い水準です。さらに、令和7年度の地域別最低賃金は全国加重平均1,121円、引上げ額66円、引上げ率6.3%となっており、下位等級やパート賃金の見直しは避けにくい状況です。
このような環境では、場当たり的な昇給や手当追加ではなく、基本給、諸手当、賞与の役割を分け、会社の利益構造と人材確保の両方を踏まえた制度設計が必要です。賃金制度は、社員の生活を支えるだけでなく、採用力、定着率、評価への納得感、将来の人件費管理に直結する経営上の重要課題です。
2. 賃金制度の運用でよく起こる問題
1諸手当が増えすぎている
諸手当が増えすぎている企業では、給与明細上の項目は多いものの、何に対して支払っているのかが分かりにくくなります。役職手当、職務手当、調整手当、皆勤手当、住宅手当、特別手当などが過去の経緯で積み重なると、基本給との違いや支給目的を説明できなくなります。
例えば、採用時に給与を合わせるために付けた調整手当が、その後も残り続けるケースがあります。この状態では、社員間の公平性が見えにくく、昇給や賞与の算定にも影響します。
2基本給の決め方が曖昧
基本給の決め方が曖昧な企業では、年齢、勤続年数、経験、能力、役割、評価のどれを重視しているのかが整理されていません。そのため、長く勤めている社員の基本給は高い一方で、責任の重い社員や成果を出している社員の給与が十分に上がらないことがあります。
また、中途採用者の給与を市場水準に合わせて決めた結果、既存社員との逆転が起こることもあります。基本給は賃金制度の土台であるため、何に対する報酬なのかを明確にする必要があります。
3昇給ルールが不明確
昇給ルールが不明確な場合、社員は「どうすれば給与が上がるのか」を理解できません。毎年一定額を上げている会社でも、その根拠が年齢なのか、勤続なのか、評価なのか、業績なのかが曖昧な場合があります。経営者や上司の判断で昇給額を決めていると、社員から見れば不公平に感じられやすくなります。
特に賃上げ圧力が高まる中では、限られた昇給原資をどの社員にどのように配分するかが重要になります。評価、等級、給与レンジを連動させたルールが必要です。
4新入社員・中途社員の給与が逆転する
採用難が続く中で、新卒初任給や中途採用時の提示給与を引き上げる企業が増えています。しかし、採用市場に合わせて新しい社員の給与だけを上げると、既存社員とのバランスが崩れます。
例えば、数年勤務して業務を覚えた若手社員よりも、新しく入社した未経験者の給与が高くなると、既存社員の不満や離職につながります。採用力を高めるための賃上げは必要ですが、既存社員の給与レンジや昇給ルールも同時に見直す必要があります。
5最低賃金上昇で下位等級が圧迫される
最低賃金の上昇により、パート社員、新人社員、下位等級の給与を引き上げる必要が高まっています。その一方で、中堅社員やリーダー層の給与を据え置くと、経験や責任の差に見合う賃金差が縮まります。
現場では「新人とあまり給与が変わらないのに、教育や責任だけ増えている」という不満が出やすくなります。最低賃金対応は下限の調整だけではなく、若手、中堅、リーダー層まで含めた賃金レンジ全体の見直しとして考える必要があります。
6賞与が業績と連動していない
賞与が業績と連動していない場合、会社の利益状況にかかわらず、毎年同じような金額を支給する慣例になりやすくなります。業績が悪くても例年どおり支給すれば、人件費負担が重くなります。一方で、業績が良いときに社員へ十分に還元されなければ、社員は会社への貢献実感を持ちにくくなります。
賞与は固定給とは異なり、会社業績、部門業績、個人評価を反映しやすい報酬です。原資の決め方と配分ルールを明確にすることが重要です。
7賞与の評価反映が不明確
賞与の評価反映が不明確な場合、社員は自分の成果や行動が賞与にどう影響しているのかを理解できません。評価が高くても賞与に差が出ない、反対に評価理由が分からないまま賞与額だけが変わると、不満や不信感につながります。
特に中小企業では、経営者の最終判断で賞与額を決めることもありますが、その場合でも評価ランク、会社業績、部門貢献、個人貢献の関係を整理しておく必要があります。説明できる賞与制度にすることが重要です。
8人件費総額の管理ができていない
人件費総額の管理ができていない企業では、基本給、諸手当、賞与を個別に決めてしまい、年間の人件費がどの程度増えるのかを把握しにくくなります。昇給は少額でも、対象者全員に反映すれば固定費として毎年積み上がります。また、手当を増やし続けると、残業代や賞与計算にも影響する場合があります。
賃金制度を見直す際は、社員一人ひとりの給与だけでなく、会社全体の人件費率、労働分配率、利益水準を確認しながら設計することが必要です。
3. 最新トレンドから見た賃金制度見直しの背景
1継続的な賃上げ圧力
現状
2026年春闘では、平均賃金方式の賃上げが全体で5.01%となり、3年連続で5%台を達成しました。300人未満の中小組合でも4.69%となっており、賃上げは大企業だけの動きではありません。
これまで中小企業では、「大手ほどは上げられない」「業績を見て個別に考える」という対応も多く見られました。しかし、採用市場や生活費上昇の影響を受け、社員側も賃上げを当然の期待として捉え始めています。賃金改定を先送りし続けることは、採用難や離職につながりやすくなっています。
課題
課題は、賃上げを単なる一律昇給として処理すると、会社の利益構造と社員間の公平性が崩れやすいことです。限られた原資の中で、誰に、どの程度、どの理由で昇給するのかを決めなければなりません。
全員に同じ額を上げるだけでは、役割や成果の差が反映されず、頑張っている社員の納得感が下がります。一方で、評価だけで極端な差をつけると生活給としての安定性に不安が出ます。賃上げ時代の昇給は、最低限の底上げと、評価・等級に応じたメリハリを組み合わせることが重要です。
2最低賃金上昇と賃金レンジの圧縮
現状
令和7年度の地域別最低賃金は、全国加重平均で1,121円、改定前から66円の引上げ、引上げ率6.3%となっています。最低賃金の上昇は、パート・アルバイトだけでなく、月給制の新人社員や下位等級の給与水準にも影響します。
下限賃金を引き上げる必要がある一方で、中堅社員やリーダー層の給与を据え置くと、等級間の差が縮まり、責任や経験に見合う賃金差が分かりにくくなります。特に人員規模の小さい企業ほど、数名の給与逆転が職場全体の不満につながります。
課題
最低賃金対応の課題は、下限だけを場当たり的に修正すると、賃金表全体が圧迫されることです。新人やパートの時給を上げること自体は必要ですが、そのままでは既存社員との賃金差が縮まり、「教育係の方が割に合わない」という声が出やすくなります。
したがって、最低賃金改定時には、下位等級だけでなく、若手、中堅、リーダー層の給与レンジまで確認する必要があります。最低賃金をクリアすることを目的にするのではなく、等級ごとの役割差が賃金に反映されているかを点検することが重要です。
3パート・短時間労働者の処遇改善
現状
短時間労働者については、社会保険の適用拡大が進められており、週20時間以上働けば企業規模にかかわらず社会保険に加入する方向で制度改正が進んでいます。また、いわゆる「106万円の壁」として意識されていた月額8.8万円以上の賃金要件は、法律公布から3年以内に撤廃する方針とされています(出典:厚生労働省「社会保険の加入対象の拡大について」)。
これにより、パート社員の時給設定、勤務時間、社会保険料負担、年収調整への対応を一体で考える必要が高まっています。人手不足の現場では、短時間労働者の戦力化も重要になります。
課題
課題は、パート・短時間労働者の処遇を単なる時給調整だけで考えると、働き方と人件費の両方で混乱が起こりやすいことです。社会保険の加入対象が広がると、本人の手取り、会社負担、勤務時間の希望が変化する可能性があります。
これまで年収の壁を意識して労働時間を抑えていた社員に対して、どのような働き方を提案するのかも重要です。時給、手当、勤務時間、役割、正社員転換の可能性を整理し、短時間労働者を補助的な人員ではなく、組織を支える人材として処遇設計する必要があります。
4一律手当から役割・職務・成果に応じた支給への移行
現状
中小企業では、過去の採用対策や個別事情により、さまざまな手当が追加されていることがあります。住宅手当、皆勤手当、調整手当、特別手当、職務手当などが積み重なると、給与総額は確保できても、何に対する報酬なのかが分かりにくくなります。
近年は、賃上げ支援策の中でも、賃金規定、諸手当制度、人事評価制度などの雇用管理制度を整備する取り組みが対象として示されており、手当を含めた制度的な見直しが重要になっています(出典:厚生労働省「賃上げ支援助成金パッケージ」)。
課題
課題は、目的が曖昧な手当を残したまま賃上げを重ねると、給与体系がさらに複雑になることです。例えば、基本給を上げる代わりに調整手当を付ける運用を続けると、社員から見て将来の昇給見通しが分かりにくくなります。また、正社員だけに支給する手当については、非正規社員との均衡や説明可能性も確認する必要があります。
手当は、役職、職務、資格、勤務負荷、勤務地など、支給目的が明確なものに整理し、恒常的に支給するものは基本給化も検討することが重要です。
【法令上の注意】手当の廃止・減額は労働条件の不利益変更に該当し得るため、労働契約法に基づく労使の合意形成、就業規則変更の合理性の確保、経過措置(調整給等)の検討など、適正な手続きを踏んで進める必要があります。
5賞与の業績連動化
現状
物価上昇や賃上げ圧力により、基本給の引上げが求められる一方で、すべてを固定給として引き上げると、業績悪化時の人件費負担が重くなります。そのため、基本給は役割や能力に応じた安定報酬として整え、賞与は会社業績、部門業績、個人評価を反映する変動報酬として設計する必要性が高まっています。
連合の2026年春闘集計でも、フルタイム組合員の一時金は年間5.13月、金額では1,776,402円という回答が示されており、賞与・一時金も賃金全体の重要な構成要素です。
課題
課題は、賞与を業績連動にすると言いながら、実際には原資決定や配分ルールが曖昧なまま運用されていることです。業績が良い年にどの程度還元するのか、悪い年にどこまで支給するのか、会社業績と個人評価をどの比率で反映するのかが決まっていないと、社員への説明が難しくなります。
賞与は、社員にとって生活上の期待も大きいため、急激に変動させるだけでは不安につながります。最低支給の考え方、業績連動指標、評価ランク別係数、特別賞与の扱いを整理することが重要です。
まとめ|賃上げ時代の賃金制度は「基本給・手当・賞与」の役割分担から
継続的な賃上げ、最低賃金の大幅上昇、社会保険適用拡大という環境変化の中では、場当たり的な昇給や手当追加は社内バランスの崩壊と人件費の硬直化を招きます。基本給(役割・能力に応じた安定報酬)、諸手当(支給目的が明確なもの)、賞与(業績・評価を反映する変動報酬)の役割を分け、昇給ルールと人件費総額の管理を一体で設計することが、賃上げ時代の賃金制度見直しの出発点です。
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