飲食業向け
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「最低賃金がまた上がる。これ以上、時給を上げたら店が潰れてしまう」
「近隣の大手チェーンが時給1,300円で募集を出した。うちはとても対抗できない」
いま、飲食業界の経営者様から毎日のように寄せられる悲鳴です。
原材料費の高騰、光熱費の上昇、そして止まらない人件費の高騰。まさに「三重苦」とも言える状況下で、多くの飲食店が、利益を削って身を切るような賃上げを余儀なくされています。
しかし、断言します。「仕方がないから上げる」という防衛的な賃上げは、遅かれ早かれ経営を行き詰まらせます。必要なのは、感情や度胸ではなく、緻密な計算とロジックに基づいた「攻めの賃金改定」です。
本稿では、数多くの飲食店再建に関わってきた人事コンサルタントの視点から、FLコスト(食材費+人件費)を適正範囲に収めつつ、スタッフが納得する賃上げを実現するための具体的なシミュレーション手法と、原資捻出の極意を徹底解説します。
防衛的な賃上げが経営を圧迫するメカニズム(現状分析)
多くの経営者が陥る最大の罠は、自社の財務体力を正確に把握しないまま「世間の相場」に合わせて時給を上げてしまうことです。まずは、なぜ安易な賃上げが組織の寿命を縮めるのか、その構造的な問題を解明します。
労働分配率の悪化と「利益なき繁忙」の正体
飲食店経営において最も注視すべき指標の一つが「労働分配率」です。これは、店舗が生み出した付加価値(粗利益)のうち、どれだけを人件費として分配したかを示す数値です。
一般的に、飲食店の適正な労働分配率は40%〜50%程度と言われています。しかし、近年の原材料費高騰により粗利率自体が圧迫されている中で、時給だけを無計画に引き上げれば、労働分配率は容易に60%、70%へと跳ね上がります。
売上は回復しても手残りが減るパラドックス
コロナ禍が明け、客足が戻り売上は昨対比120%で推移している。店は忙しく、スタッフは走り回っている。それにもかかわらず、月末に試算表を見ると営業利益がほとんど残っていない。
こうした「利益なき繁忙」の原因は、ほぼ例外なくFLコストのコントロール不全にあります。特に人件費(Labor Cost)は一度上げると下げることの難しい固定費的な性質を持つため、売上が少しでもブレた瞬間に赤字転落するリスクを孕んでいます。
「時給の壁」が経営に与えるインパクト
かつては「時給1,000円」が心理的な壁でしたが、都市部では今や「時給1,200円〜1,300円」が当たり前のラインになりつつあります。
時給が100円上がるとどうなるか。スタッフ1人が月100時間働くとして1万円のコスト増。10人いれば月10万円、年間120万円の利益が吹っ飛びます。利益率5%の店舗であれば、この120万円の利益をカバーするために、追加で2,400万円の売上が必要になる計算です。この現実を直視せず、感覚だけで「50円くらいなら」と判断するのは自殺行為と言えます。
「他店が上げたから」で追随することの落とし穴
求人媒体の担当者から「エリアの平均時給が上がっています。この金額では応募が来ません」と提案され、焦って時給を引き上げるケースが後を絶ちません。
大手資本と中小個店の体力差
大手チェーン店は、セントラルキッチンによる原価低減や、DX(自動発券機や配膳ロボット)による省人化で、高い時給を払っても利益が出る構造を作り上げています。
対して、手作りの味や接客サービスを売り物にする中小個店が、同じ土俵で時給競争を挑めば、勝ち目はありません。資本力が違う相手と同じ戦い方をするのではなく、「働きがい」や「柔軟なシフト」「まかないの質」など、時給以外の価値(EVP:Employee Value Proposition)を磨く戦略が必要です。
採用コストと定着率のアンバランス
時給を上げて採用できたとしても、それは「高い時給に釣られた人材」である可能性が高いです。そうした人材は、隣の店がさらに高い時給を出せば、すぐに移っていきます。
結果として、採用コストばかりが嵩み、現場には育っていない新人ばかりが溢れる。ベテランスタッフは負担が増え、疲弊して辞めていく。この「負の回転ドア」を止めるには、入り口の時給を上げる前に、中の制度(定着支援)を整える方が先決です。
「値上げ」と「生産性向上」をセットにした賃金改定のステップ(理論)
では、原資がない中でどうやって賃上げを行えばよいのでしょうか。答えはシンプルです。「外から稼ぐ(値上げ)」か「中から絞り出す(生産性向上)」か。この2つをセットで行うことが、健全な賃上げの絶対条件です。
恐れずに「適正価格」へ転嫁するためのロジック
「値上げをしたら客数が減る」という恐怖心は、どの経営者にもあります。しかし、インフレ局面においては、適切な値上げこそが品質を守り、スタッフを守る唯一の手段です。
原価率と人件費率の相関関係
例えば、食材原価率が35%、人件費率が30%の店があったとします(FL65%)。
ここで食材費が高騰し原価率が38%になった。さらに賃上げで人件費率が33%になった。FLは71%となり、家賃や水光熱費を引けば赤字です。
この状況で利益を出すには、メニュー価格を上げるしかありません。ポイントは「賃上げ分も価格に転嫁する」という覚悟を持つことです。お客様は、料理の対価だけでなく、スタッフによる快適なサービスに対してもお金を払っています。「良い人材を確保し、良いサービスを維持するため」の値上げは、正当な経営判断です。
客離れを防ぐQSCとの連動
単に値札を書き換えるだけでは、当然お客様は離れます。値上げと同時に行うべきは、QSC(品質・サービス・清潔さ)の基準引き上げです。
「価格は10%上がったが、接客が以前より丁寧になった」「盛り付けが少し豪華になった」と感じていただければ、顧客満足度は下がりません。賃上げによってスタッフのモチベーションを高め、そのエネルギーをサービスの向上に向ける。この循環を作ることが、値上げ成功の鍵です。
「人時売上高」という最重要指標の徹底管理
賃上げの原資を生み出すための最も重要なKPI(重要業績評価指標)、それが「人時売上高」です。
人時売上高 = 売上高 ÷ 総労働時間
従業員1人が1時間あたりいくら売上を作ったかを示すこの数字こそが、飲食店の生産性の正体です。
賃上げ可能額の目安となる「5,000円の壁」
一般的に、人時売上高が5,000円を超えていれば健全経営、4,000円台だと黄色信号、3,000円台では赤字のリスクが高いと言われます。
もし時給を1,100円から1,200円に上げたいなら、人時売上高も比例して引き上げる必要があります。
目標とする人時売上高を設定せずに行う賃上げは、地図を持たずに航海に出るようなものです。まずは自店の直近の人時売上高を算出し、目標値とのギャップを把握してください。
オペレーション改善による労働時間の圧縮
人時売上高を上げるには、分子(売上)を上げるか、分母(労働時間)を減らすかしかありません。即効性があるのは分母の圧縮です。
「人を減らす」のではなく「無駄をなくす」
労働時間を減らすというと、「ワンオペを強いるのか」と反発を招きがちですが、そうではありません。
- アイドルタイム(客数が少ない時間帯)のシフト見直し
- 仕込み作業の集中化と効率化
- メニュー数の削減による調理時間の短縮
これらを徹底し、「お客様がいないのにスタッフがいる時間」を極限まで減らすのです。1日たった2時間分の労働時間を削減できれば、月間で60時間。時給1,200円なら72,000円の利益改善です。これがそのまま賃上げの原資になります。
FLコストを適正化する賃金シミュレーションの具体的ステップ(実践)
理論を理解したところで、実際に数字を当てはめていくシミュレーションのフェーズに移ります。コンサルティング現場で実際に使用している手順を公開します。
ステップ1:自社の適正「労働分配率」を算出する
まずはゴール設定です。いくらまでなら人件費を使えるのか、限界値を定めます。
粗利益からの逆算
あなたの店の粗利率(売上-材料費)が70%だとします。
営業利益として10%は残したい、家賃や光熱費などの販管費が30%かかると仮定すると、残りの30%が人件費の上限になります。
売上100% - 利益10% - 販管費30% - 材料費30% = 人件費30%
この場合、労働分配率(人件費÷粗利)は、30%÷70%≒42.8%となります。
自社の決算書を基に、この「許容できる人件費率」を算出してください。ここを超えて賃上げをするなら、同時に売上を上げる計画が必須となります。
ステップ2:賃金カーブと昇給原資のシミュレーション
次に、総額人件費の中で、誰の時給をどれだけ上げるかを配分します。
全員一律アップの危険性
最もやってはいけないのが「全員一律50円アップ」です。これでは原資が分散し、貢献度の高いリーダー層の不満が解消されません。
新人は最低賃金スレスレでも、リーダーやトレーナークラスには時給1,500円を出すなど、メリハリをつけることが重要です。
「誰がいくら稼げば、店全体の生産性が上がるか」という投資の視点で配分を決めてください。
ステップ3:ケーススタディ・月商500万円の居酒屋
具体例で見てみましょう。
- 現状:月商500万円、FLコスト60%(材料30%+人件費30%)、人件費150万円。
- 課題:スタッフ全員の時給を平均50円上げたい(人件費が約5%上昇すると仮定)。
シミュレーションA:何も対策せずに賃上げ
人件費が150万円→157.5万円に上昇。
利益は7.5万円減少します。年間で90万円の減益。これは痛い。
シミュレーションB:値上げとセットで実施
人件費増の7.5万円をカバーし、さらに利益を上乗せするために、客単価を3%値上げします。
売上500万円×1.03=515万円(+15万円)。
人件費が7.5万円増えても、差し引き7.5万円の利益増になります。
客数が変わらなければ、という前提ですが、3%の値上げで客数が激減することは稀です。むしろ、賃上げによってスタッフの士気が上がり、回転率が向上すれば、売上はさらに伸びる可能性があります。
損益分岐点の再計算
重要なのは、「時給を上げたら、1日あと何人お客様を呼ばなければならないか」を具体的な数字に落とし込み、現場と共有することです。
「時給を上げるために、1日あたりランチをあと5食多く売ろう」という目標なら、スタッフも納得して協力してくれます。
賃上げを一過性で終わらせないための「仕組み」づくり
シミュレーションで数字が整っても、運用が伴わなければ絵に描いた餅です。継続的に賃上げができる強い体質を作るためのポイントを解説します。
スタッフへの説明責任と納得感の醸成
賃金改定を行う際、ただ給与明細の数字を変えるだけでは不十分です。「なぜ上げたのか」を経営者の口から語る必要があります。
経営者からのメッセージ
「物価が上がって大変だから上げる」という同情的な理由ではなく、「皆さんの頑張りで生産性が上がったから還元する」「これからもっと良い店にするために投資する」という前向きな理由を伝えてください。
同時に、「高い給料を払うのだから、プロとしての仕事を求める」という期待値も明確にします。これが健全な労使関係(パートナーシップ)の第一歩です。
評価制度との連動が不可欠
時給はお金だけの問題ではありません。スタッフにとっては「自分の価値」そのものです。
「長く働いているから」という理由だけで時給が上がる年功序列的な仕組みは排除すべきです。「何ができるようになったら上がるのか」という評価基準(スキルマップ)を明確にし、賃金テーブルと連動させます。
これにより、スタッフは「時給を上げるためにスキルを磨こう」と自律的に動くようになり、結果として店全体の生産性(人時売上高)が向上します。
助成金・補助金の活用による原資確保
即効性のある資金調達手段として、公的支援制度を見落としてはいけません。
キャリアアップ助成金の活用
有期雇用のアルバイトスタッフを正社員化した場合や、賃金規定を改定してベースアップを行った場合に受給できる助成金があります。
例えば「キャリアアップ助成金(賃金規定等改定コース)」では、対象労働者の基本給を3%以上増額改定した場合、1人あたり最大数万円〜の助成が受けられる可能性があります(要件は年度により異なります)。
こうした制度を賢く活用することで、初年度の賃上げ負担を大幅に軽減し、その間に経営体質の強化を図るという戦略が立てられます。
感覚でのドンブリ勘定は命取り。「数値」で未来を切り拓く
「うちは小さな店だから、難しい計算はわからない」
そう仰る経営者様も多いですが、小さな店だからこそ、わずかな計算ミスが命取りになります。FLコストの1%、人件費の数万円が、黒字と赤字の境界線になるのが飲食ビジネスの厳しさです。
「あと何円、時給を上げても大丈夫なのか?」
「値上げをするなら、いくらが適正なのか?」
これらの問いに、経営者の勘ではなく、確かな根拠を持って答えられるでしょうか。もし不安を感じるようであれば、一度プロフェッショナルによる「賃金診断」を受けることを強くお勧めします。
私たちヒューマンリソースコンサルタント(HRC)は、飲食業界特有の収益構造を熟知しており、単なる労務管理だけでなく、経営数値に基づいた賃金制度設計を得意としています。
「人件費を上げても利益が出る」魔法のような仕組みはありませんが、計算し尽くされたロジックと戦略は存在します。
貴店の現状を数値化し、無理のない賃上げシミュレーションを行うための無料相談を随時受け付けています。手遅れになる前に、まずは現状を正しく知ることから始めませんか。
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- 中小企業の経営者に向けて、人事制度に関する役立つ記事を発信しています。
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