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どれほど緻密に設計された評価制度であっても、それが社員に伝わり、腹落ちしていなければ存在しないも同然です。多くの企業が等級定義や報酬テーブルといった制度の「器(ハードウェア)」を作ることに心血を注ぎますが、実際にそのシステムを動かす「OS(伝える技術)」を軽視している現状があります。
1. 評価制度は「作る」より「伝える」ほうが難しい
制度の意図が現場で「誤認」されるメカニズム
エンジニアという職種は、職業柄「定義」や「仕様」に極めて敏感です。プログラムの世界では、定義されていない変数はエラーを吐きます。同じように、人事評価においても言葉の定義が曖昧なまま運用が始まると、彼らは混乱し、やがて不信感を抱きます。
例えば、経営陣が「失敗を恐れず挑戦してほしい」という意図で作った加点主義の制度があったとします。しかし、現場のマネージャーがその意図を汲み取れず、面談の場で「今回の挑戦は失敗だったから、評価はステイだね」と伝えてしまったらどうなるでしょうか。
その瞬間、エンジニアの中でその制度は「リスクを冒すと損をする減点主義のシステム」として認識(コンパイル)されます。一度刻まれた認識を覆すのは容易ではありません。制度設計者と運用者(マネージャー)の間で、「この項目の真意は何か」「どんな行動を推奨したいのか」という解釈の同期(シンクロ)が取れていないことが、多くの組織崩壊の引き金となっています。
「評価イベント」から「成長支援」への意識変革
多くの現場において、半年に一度の査定面談は「憂鬱なイベント」になりがちです。それは、面談が「過去半年の罪状認否と判決の場」になっているからです。
エンジニアが求めているのは、変えられない過去に対する裁きではありません。「これからの半年、どうすれば自分の技術力が上がり、市場価値が高まるか」という未来への指針です。
1on1や評価面談を、「給与を決める手続き」から「未来のパフォーマンスを最大化するための作戦会議」へと再定義してください。
「今の君のコードはここが課題だ」ではなく、「君が目指すアーキテクトになるためには、次のプロジェクトでこの設計パターンを試してみるといい。そのために会社はこう支援する」という対話が行われるとき、評価制度は初めて「成長のエンジン」として機能し始めます。
信頼関係(ラポール)の土台がない場所にフィードバックは機能しない
テクニック以前の問題として、日常的な信頼関係(ラポール)の欠如があります。
「普段のプルリクエスト(PR)も見ていない」「Slackでの発言も追っていない」上司から、半年に一度だけ「もっと技術力を上げろ」と言われても、エンジニアの心には「お前に何がわかる」という反発しか生まれません。
心理学において、厳しいフィードバックが受け入れられる条件は「相手は自分の成長を心から願っている」という安全基地(Psychological Safety)がある場合のみです。
1on1は、制度上の義務として行うものではなく、日々のコードレビューや雑談を通じて積み上げた信頼を確認する場です。「あなたの仕事をちゃんと見ていますよ」というシグナルを日常的に発信し続けることが、評価運用における最大の準備作業となります。
2. IT現場で嫌われる「抽象的なフィードバック」の例
エンジニアは論理的であることを是とする生き物です。そのため、「頑張った」「元気が足りない」といった定性・抽象的な評価を「根拠がない(=バグ)」と断じ、評価者への信頼を即座に失います。現場でよく聞かれる「ダメな言い回し」を解剖し、どのように改善すべきかを探ります。
「もっと主体性を持ってほしい」という言葉の罠
この表現はIT現場で最も嫌われる言葉の筆頭です。「主体性」という言葉の解像度が、人によって全く異なるからです。
- 上司の意図:「会議でもっと発言してほしい」
- 部下の解釈:「勝手に仕様を決めて実装していいということか?」
このズレが致命的な事故を生みます。エンジニアからすれば「具体的にどのプロジェクトの、どのフェーズで、どのようなアクションをとれば主体性があると判定されるのか」という受け入れ条件(Acceptance Criteria)が見えないタスクは、実行不可能です。
「主体性」という言葉を使わずに伝えます。
「今期のプロジェクトにおいて、設計上のボトルネックを見つけた際、PMからの指示を待つのではなく、自分から修正案をWikiにまとめてSlackで共有し、チームの合意を取り付ける動きを期待している」
これなら、エンジニアは何をすべきか明確に理解できます。
「技術力は高いが、コミュニケーションに課題がある」の不正確さ
「コミュ力」という言葉も、IT業界ではあまりに広義に使われすぎています。
- 要件定義でお客様の要望を引き出す力なのか?
- チーム内での進捗アラートをあげるタイミングの早さなのか?
- コードレビューでの言葉選び(言い回し)の配慮なのか?
これらを十把一絡げにして「コミュニケーションに課題」と伝えると、エンジニアは「自分は人格否定された」と感じてしまいます。
「コードレビューの際、『このコードはダメ』と否定から入るのではなく、『この書き方だとメモリ効率が悪いので、こちらのライブラリを使ってはどうか』と代替案をセットで提示するようにしてほしい。そうすれば、後輩も萎縮せずに君の技術を吸収できる」
このように、「場面(Situation)」「行動(Behavior)」「影響(Impact)」をセットで伝えるSBIモデルを活用することで、フィードバックは納得感のあるものに変わります。
納得感を阻害する「他者との比較」による評価
「Aさんに比べて君は実装が遅い」といった比較は、百害あって一利なしです。エンジニアのプライドを傷つけるだけでなく、「じゃあAさんがいないプロジェクトに行きたい」という逃避行動や、チーム内の不必要な敵対関係を生みます。
評価はあくまで「本人が期初に立てた目標」や「グレード定義(等級基準)」との絶対評価であるべきです。
比較対象を「隣の誰か」ではなく、「半年前の自分(過去)」や「目指すべきグレード像(理想)」に置いてください。「半年前は単体テストで苦戦していたが、今は結合テストのシナリオまで書けるようになったね」という対話こそが、自己効力感を高めます。
3. 目標設定(OKR/KPI)をエンジニアの言語に翻訳する方法
多くのマネージャーが悩むのが、「会社の数字目標」と「個人の技術目標」の接続です。売上や利益といった経営数値を、そのままエンジニアの個人目標にブレイクダウンしても、彼らのモチベーションエンジンには点火しません。「翻訳」が必要です。
「売上目標」を「技術的な課題解決」に変換する
例えば「サービスの売上120%達成」という会社目標があるとします。これをエンジニアにそのまま渡しても「それは営業の仕事でしょ」となります。
ここでマネージャーの手腕が問われます。売上を上げるために技術ができることは何か?
- ユーザー離脱を防ぐための「ページの表示速度改善(Core Web Vitals向上)」
- 新機能を高速で市場投入するための「CI/CDパイプラインの整備」
- アクセス増に耐えるための「サーバーレスアーキテクチャへの移行」
このように、「ビジネス上の成功(売上)が、君の技術的関心(アーキテクチャ刷新など)をどう満たすのか」というストーリーを紐付けることが重要です。「君がこの技術的負債を解消してくれることが、結果として会社の売上目標を支える最大の柱になるんだ」という動機付けが、エンジニアの魂を揺さぶります。
OKR(目標と主要な結果)を用いた野心的な挑戦の奨励
一般的なMBO(目標管理)では、「達成率100%」が評価の基準になりがちです。すると、エンジニアは評価を下げるリスクを避けるため、「絶対に達成できる低い目標(置きに行った目標)」しか立てなくなります。これでは組織の進化が止まります。
そこで有効なのが、Googleやメルカリなども採用するOKR(Objectives and Key Results)の思想です。 達成率60〜70%で「成功(Green)」と見なす「ムーンショット(ストレッチ目標)」を推奨します。「今の技術力では難しいが、達成できれば劇的なインパクトがある」という目標に挑むこと自体を評価(加点)する文化を作ってください。
これにより、新しい言語(RustやGoなど)の導入や、大規模なリファクタリングといった、リスクはあるが価値の高い業務に光が当たります。
計測可能な「主要な結果(Key Results)」の設定
目標の納得感を左右するのは「定量性」です。エンジニアは曖昧さを嫌います。
- ×「品質を向上させる」
- ○「単体テストのカバレッジを80%以上に引き上げる」「本番環境での障害発生件数を月1件以下にする」
- ×「レスポンスを速くする」
- ○「APIのP99レスポンスタイムを100ms以内にする」
このように、エンジニアが得意とする「数値の言語」で完了条件を定義することで、評価期間終了時の「やった・やってない」の水掛け論をゼロにできます。
4. 評価者のリテラシーを引き上げる「評価者トレーニング」の効果
1on1が盛り上がらない、評価に不満が出る。その最大の原因は、実は評価者(マネージャー)側が「正しい評価とフィードバックのやり方」を一度も体系的に学んでいないことにあります。
プレイヤーとして優秀だったエンジニアが、ある日突然マネージャーに任命され、武器(知識)を持たずに戦場に出されている。これが中小IT企業のリアルです。
評価エラー(バイアス)を自覚させる
人間には必ず認知の歪み(バイアス)があります。
- ハロー効果: 「技術力が高いから、マネジメントもできているはずだ」と一点の特徴で全体を高く評価してしまう。
- 期末誤差(親近効果): 半年前の大きな成果よりも、直近の小さなミスの方を強く覚えていて評価を下げてしまう。
- 類似性バイアス: 自分と同じ出身校、同じ技術スタックの部下を可愛がってしまう。
トレーニングを通じてこれらの心理的罠を自覚させ、「印象」ではなく「期間中のエビデンス」に基づいた評価を徹底する訓練を行うだけで、評価の公平性は格段に上がります。
コーチング・スキルの習得と実践
1on1は、上司が一方的にアドバイスをする場ではありません。それでは部下の思考停止を招きます。必要なのはコーチング(問いかけ)の技術です。
- オープンクエスチョン: 「なぜ遅れたんだ?」ではなく「次はどうすれば防げると思う?」と問いかけ、思考を未来に向けさせる。
- 沈黙を待つ: エンジニアが考え込んでいる沈黙を、マネージャーが不安になって喋って埋めない。沈黙は「思考中」のサインです。
- 傾聴と承認: 「でも」と否定せず、「なるほど、君はそう感じたんだね」と一度受け止める。
こうしたコミュニケーションの型を学ぶことで、1on1は「詰められる場」から「自分の考えを整理できる場」へと変わります。
ロールプレイングによる「伝えにくい内容」のシミュレーション
座学だけでは不十分です。実際に「評価が低いことを伝える(Bad News)」「改善を促す」といった「心理的負荷の高い対話」を、コンサルタントや他部署のマネージャー相手にロールプレイングします。
「今の言い方は、攻められているように感じました」「もう少し事実ベースで話した方がいいです」といった客観的なフィードバックを受ける経験は、現場での失敗を未然に防ぐ強力なワクチンとなります。
コンサルタントの視点:制度は「生き物」であり、対話こそがその血流
評価制度を一度作って、あとはマニュアル通りに回せばいいと考えているなら、それは大きな間違いです。制度は「生き物」です。現場の状況、技術トレンド、会社のフェーズによって、常にチューニングが必要です。
そして、その制度という体に酸素や栄養を運ぶのが「1on1(対話)」という血流です。
どんなに立派な臓器(等級制度)があっても、血流(対話)が滞っていれば、組織は壊死します。逆に、制度が多少不完全でも、上司と部下の対話が健全に機能していれば、納得感は生まれ、組織は回ります。
「1on1が盛り上がらない」というのは、単なる会話不足ではなく、「組織の血流が滞っている」という危険なアラートです。これを放置すれば、優秀なエンジニアから静かに退職(サイレント・クイット)していきます。
HRC流:現場を「孤独」にさせない伴走支援
ヒューマンリソースコンサルタント(HRC)では、IT業界の複雑な開発現場の実情を熟知したプロフェッショナルが、制度設計だけでなく、その後の「運用定着」に最も力を入れています。
- マネージャー向け実践トレーニング: 現場の事例を使った、翌日から使えるフィードバック技術の習得。
- 1on1同席・メンタリング: 実際の1on1の録音や同席を通じて、プロの視点から具体的な改善点をアドバイス。
- 「評価者」の評価: マネージャー自身が正しく評価できているかをチェックする仕組みの構築。
「制度は作ったが、現場が白けている」「エンジニアの定着率が上がらない」と悩まれている経営者様。
それは制度の問題ではなく、運用のボタンを掛け違えているだけかもしれません。
貴社のエンジニアが持つポテンシャルを最大限に引き出すための、「対話のOS」のアップデートを、私たちと一緒に始めませんか。
人事コンサルタントからの次の一歩
現在、御社で行っている1on1や評価面談で、マネージャーの方々が「一番困っていること」は何でしょうか?
「部下が喋らない」「目標が立てられない」「厳しいことを言えない」…。
その具体的なお悩みを教えていただければ、すぐに実践できる「1on1質問集」や「フィードバックのテンプレート」を差し上げます。まずは小さな成功体験から作っていきましょう。
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